断捨離とは逆行するところ
さくらです。
今日はつれづれなるままに気付きを綴ります。
世間では断捨離が一世風靡をし続けております。私もその波に乗っておりました。
一方でわたし、断捨離とは逆行する部分があります。
断捨離するとき、すごく迷うと、実家に持ち帰り、とりあえず非難させます。自分の家で保管しとけばいいんだけど。笑
心の奥底で、「本当は大切」って自分でもわかっていて、離れられないんだけども、「断捨離の教えで、〇年以上使わないものは捨てちゃえ~」みたいなところに、妙に反応して、変に完璧主義で、
大切なものまで捨てようとする。そんなところがありありです。
で、少し経つと、「あ、ない、どこいったの?やっぱり、必要だわ」って、どこに何をしまったか、忘れるという。笑
リスが木の実をどこに隠したか忘れてしまうのと似ています。笑
そう、何を実家に持ち帰ったかも何年も経つと忘れてしまうという(笑)。
そして、「あ~、わたし、リサイクルのお店に持ち寄ったんだわ、そうそう、確かあの時だわ!」と変に記憶にこじつける。納得しようとする。
ずーと、心残りで、手放したことを後悔するという。
断捨離の教えでも、「必要だったら、また買えばいいし」みたいなところがあり、当時私は、「ふんふん、なるほど」と思っていたものでした。
実家の母は、物持ちがよく、私が持ち帰ったものは、捨てないで持っていてくれることが多くて、先日、実家に帰ったとき、もう諦めていたアイテムたちと涙の再会を果たしました!
そのありがたかったこと!
もう二度と手放すもんか!って思いました。心の中でおいおい泣きました。
大切って心のどこかで気付いていたら手放さない、離しちゃだめと、気付いたおはなしです。
そして、二日間にわたり、あきらめていたアイテムたちと涙の再会がぞくぞくと続き、そのかず8品以上!ありました。
これは「奇跡だ!」と感じました。
「やや、これは何かの前兆かしら?」とわくわくするのでした。
「スピリチュアル的に何か意味あるのかしら?」と検索してみたり。
ま、いっか、となる。
どなたか、知っていたら、コメントください。笑
断捨離はゆる~くしようと思ったのでした。自分のこころのままに。うきうきを大切に。
お部屋の玄関からの龍脈はきれいにしとこ。と思うのでした。早速そこにあったモノたちは移動しました。なんか、いいかんじ。気が通る感じ。風が通る感じ。清々しい感じ。
荒塩も、ちゃんと天日塩って書いてあるものを買おうと思うのでした。
あと、神社にいったときは、「自分が良くなったら私と縁がある方と社会が良くなるように貢献します」、って伝えようと思ったのでした。
そう思った突端、そう決心し途端、なんだか、スピリチュアル系のメッセージに触れることが多くなりまして。
これからの進化がたのしみであります。
びば。