誰にでもありがちな意外な落とし穴
誰にでもありがちな意外な落とし穴、っていうけど、
「私は落ちないわよ! 自分は大丈夫!」っていう方!、そんなあなた様にこそ読んでほしいのです。
なぬ?どういうこと?って思われるかもしれません。
これは出来ない方を責める記事でもありません。
以下の記事を読んで、こういうこと意外と見過ごしていたわ~、
なるほど、こうすると楽になるのね~、
とご自分が楽になるためにご活用くだされば幸いです。
では。
日本では「人に迷惑をかけてはいけない」という教育を受けて育っています。
これはどういうことかというと、「迷惑かける人を許せない」、ということになるのです。さらに言うと、「自分に迷惑をかける人を許せない」となります。
「自分は人に迷惑をかけないように生きているのに、あの人はいつも迷惑をかけてくる。許せない」、となります。
常識という言葉で、片づけられることもあります。
「人に迷惑かけないようにするの、常識だよねー」とか。
「そうそう、当然でしょ」、と該当する方、「普通は」とか「常識」「~べき」などの言葉を使っているかもしれません。
そうすると、他人のすることが許せなくなります。日々の暮らしのあちこちで、許せないことのオンパレードで段々大きなストレスになってきます。過度のストレスになってくることもあるでしょう。
困っちゃいますよね。
一方インドでは、「人に迷惑かけて当然」という教育を受けるそうです。
生まれた時から、すでに迷惑をかけている。だから、他人の事も許す。お互い様というこころ。
ここで、インドの方は、他人を許す器が形成されます。
ここが大きな違いです。
話を戻します。
「自分は人に迷惑をかけないように生きている」から「迷惑をかける人が常識から外れている、許せない」とか、なっちゃうんです。
じゃあどうすれば、いいかっていうと。
自分も生きているだけで迷惑をかけている存在だと知ること。トイレ入るだけでも、トイレ汚すし、誰かの迷惑になっていますよね?誰かに迷惑かけたことあるし、今も誰かに迷惑をかけているし、これからも誰かの迷惑になるでしょう。
あ~、私、確かにそうだわ。いつも誰かの迷惑になってるかも。
気付くだけでいいです。
そうすると、イラっとするたびに、「自分は生きてるだけで迷惑をかけている」、と思うと、相手のことも許せるようになってきます。人を許す器が出来てきます。
「人に迷惑をかけていはいけない」から、自由になると楽になります~というお話でした。